2009年10月26日

山歩きの必需品・・・手ぬぐい

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狭い山道で人とすれ違う・・・
 
ドーベルマンの、この、細い立った耳はやはり「こわい」イメージがあるらしい。
 
 
 
 
 
 
 
山頂の人が多い場所で、手ぬぐいを出した。
 
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ほっかむりした徒単にみなの目が変わった。

「 あらぁ、かわいい! 」
 
 
とつぜん、『可愛い』犬に変身してしまうのだ。 

 
「 写真とってもいいですか? 」
 
「 あらー、耳の保温ですかぁ?? 」

「 でんごんゲーム、でんごんゲーム・・・ワンちゃんがいました! 」
「 わんちゃんがいましたぁ! 」
「 わんちゃんがいたよ! 」
「 わんちゃん いました。 」 
・・・・
すれ違った幼稚園団体の伝言ゲーム。

「 わぁ、びっくりした。 人だと思ったよ。 服着てるしぃ・・。 」
 

皆さんから、本当に好意的な暖かい声がかかる。


「 うちはゴールデンなんですけどね。 
  うちのは、手ぬぐい頭に載せるのが似合います。 ほら。 」
いい湯だな、状態の愛犬のお写真見せてくださった方も。
 

 
「 わんちゃん、疲れないかねえ。 」
「 大丈夫みたいですよ。 4輪駆動ですから。 」
「 そりゃそうだ。 ワシも4本欲しいなぁ、山登るときは。 」 

無言でカメラを向けるひと、すれ違いざまに携帯のシャッター音。
何人のカメラに収まっただろう。
 
 
 
やっぱり手ぬぐい、必需品です。
 
 

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先週とはうって変わって人であふれたヤビツ峠でも、ノエルは人気の的。
写真を撮りに来るひと、ただ見に来るひと。
 
車に入れても、まだ見に来るもので、
車に入った徒単に外に向かってガードドッグに徹するノエルに閉口。
すぐに車を動かさなくてはならなかったほど。

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2009年10月25日

リベンジ・・・大山

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先週、霧で展望の無い大山、残念だったので、今日リベンジに行ってきました。
 
「 私も行ってみたいなー。」と言った友人のTちゃん、初山登りです。

ま、『山登り』って言うほどの距離じゃないですが。
 
 
 
 
先週は、ちょうど一番悪いときに登ってしまった、って感じでしたが、今日は、一番いい時間に登って降りた、って言う感じでしたよ。
 
山から下りるとき、フロントガラスに雨粒、落ち始めましたから。
 
 
今日は写真ばかり並べます。
 
階段になった登りの間に現れる、こんな樹間の小道が丹沢のいいところ、大好きなところです。
私の好きな景色をご覧下さい。
 
 
 
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2009年10月24日

古い写真から・・・甲斐駒ケ岳

写真を見ると、5月の連休に鳳凰三山を歩き、月末には一泊で尾瀬ヶ原に水芭蕉を見に行っていたようです。

そして、6月中旬。

梅雨に入っていたのかどうか、

「 甲斐駒ケ岳 行っちゃうー! 」 と、出かけたぷーままでした。


甲斐駒ケ岳 黒戸尾根と言えば、 日本三大急登の一つに数えられ、
・北アルプス烏帽子岳へのブナ立尾根 登山口1080m頂上2627m 標高差1547m
・南アルプス甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根  登山口670m頂上2967m 標高差2197m
・上越 谷川岳への西黒尾根  登山口663m頂上1963m  標高差1300m 

見てのとおり、3つの中でも群を抜いて長くきつい登りらしいです。


ちなみに富士山は吉田口五合目から登ると、登山口2304m頂上3776m 標高差1473m
  (そんなところからわざわざ登る人はあまりいないと思うけれど富士吉田浅間神社から登ると登山口860m頂上3776m 標高差2916m )
  (有名な富士登山駅伝(静岡県側)ではなく、 富士吉田市役所前から一人で往復する富士登山競走というのがあって、市役所・・標高770m・・から吉田口登山道を登って標高差約3000M、往復延長約21kmを駆け抜ける。最速記録は2時間32分40秒、なんと制限時間が4時間30分ですってよ!!)

 
 
 
 
 
 
 


登山口はお山の神社・・親戚の家ですから・・・あそこは標高770m。それでも標高差は2097mです。  
 
朝、何時にでたのか・・・
記録は取ってあるのです。 ただ、全く整理してなくて、しかも今どこに入っているかわからないところが実にぷーまま的。
まあ、その記録を見てもう一回登ろうとかそういうわけではないのでいいのです。
 

 
 
横手駒ケ岳神社から、笹ノ平を登り、竹宇駒ケ岳神社からの道と合流します。
森の中の急な道を登ると、難所、「刃渡り」が現れます。
 
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右の斜面は霧の中をどこまで続くかわからない岩の滑り台。
左は松の向こうに霧に閉ざされた空間が見えるだけです。

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甲斐駒ケ岳は山岳宗教の山で、白装束の信者さんたちが「講」を組んで登っていました。
黒戸尾根には、いたるところに石碑や祠、金属の剣が立ち、独特の雰囲気をかもし出しています。
 
刃渡りでは、岩に穴をうがって、そこに鉄棒を差し込み、鎖が通っています。

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他にも、岩に足つぼ(足を突っ込む穴)をうがって鎖をたらしたところや、崖を回りこむ木のはしごなど、何箇所かの難所がありました。
 

 
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ここは黒戸山でしょうか。
刀利天が祭られています。
 
 
 
 

 
 
1日目は、今はもうない、5合目の小屋に泊まりました。
当時、5合目には小屋が二つあり、山頂に向かって手前右側には大きな屏風岩の下に屏風小屋がありました。
古屋義成さんという名物親父がいて、岩をくりぬいた倉庫がある、と聞いたことがあります。
 
山頂に向かって奥の左側には、駒ケ岳神社所有の小屋があり、信仰のために駒ケ岳に登る「講」の人たちの宿泊に使われていました。

6月のこの時期にはどちらの小屋も開放されていて、経営者はいませんでした。
 
ぷーままは、当然、親戚である駒ケ岳神社の小屋に泊まりました。
単独行なので食料はインスタントとレトルト、缶詰。

 


山登りでの食事には鉄則があります。

『他人の目のあるところでは、豪華な食事に徹すること』

「お、あいつら、いいもん食ってるな。」と言う視線は、人間を元気にします。食べた量の数倍のエネルギーを生みます。
 
同じ小屋に泊まる人は4人ほどいたでしょうか。
何品も並べるぷーままに、
「 どこまで縦走するんですか?」
「 えっ? 駒ケ岳ピストン? それでその食料??」
「 それだけあったら、5~6泊できるんじゃないですか??」

むふふ、エネルギーもらいましたよ。超元気になりました。
 

 
 
翌日は小さいザックに必要なものだけ入れて、大きな荷物は小屋に置いて頂上を往復します。はしごが多くて(水平でこわいはしごも・・・)なかなかスリリングなコースです。
 
 
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急登を続けて、8合目の御来光場が見えてきました。

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8合目を過ぎても、まだ、頂上はずっと上です。
 

 
 
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こちらは、岩登りで有名な摩利志天峰。
 
 
 
 
 
 
 
 

さてさて、いよいよ頂上が見えてきました。

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頂上からの「私の北岳」です。 
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同じく頂上からの鳳凰三山。
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千丈岳、千丈敷カールが見えます。 
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雲海の向こうに北アルプス。 
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頂上のぷーままですよ。
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後ろは、もちろん北岳です。
 
 
 
 
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タカネビランジとぷーまま左足です(笑)。
 
 
 
 
 
 
当時ぷーままが使っていたのは35-70mmのレンズだったと思うのです。
広角ではないので、写真、難しいですね。
登るのが目的でしたし・・・。
 
 
 
このあと、下りの写真はありません。

 
 

 
 
 
山を降りたら、神社はお祭りでした。 
 
 
 
 
 
 
 

Posted by Okada at 00:11 | Comments (2)

2009年10月23日

古い写真から・・・鳳凰三山

レンズが直ってこないので写真を撮ってない・・・(涙)
 
 
 
 
しょうがないから、古い写真を持ち出して今日は書くことに。
 
 
 

さて、この写真は75年の5月のゴールデンウィーク。
 
お正月の北岳登山も果たし、山にどっぷり。
月に2回も登山していた頃のおはなしです。
 


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春山になって、どうやら単独行でもいけそうになってきたもので、「私の北岳」が見える鳳凰三山を登ることにしました。
一番南側の夜叉神峠の小屋は前の年に留守番のアルバイトまでしましたから、北の地蔵岳から登って、観音岳、薬師岳と南下して、最後に夜叉神峠の小屋でゆっくり遊んで帰る、という計画。


新宿23時55分発の鈍行松本行きで出発します。
乗っているのは登山者ばかり。(だったと思う・・・) 
 
甲府に着くのが2時半ごろだったか。
途中、日野春駅で1時間も止まる電車でした。
穴山駅下車。
予約してあった鳳凰小屋のマイクロバス(だったかな)が迎えに来て、穴山駅で下車した人を一人を除いて全員収容。
駅から歩いて出発していた登山者に「乗れ、乗れ!」と執拗に誘う鳳凰小屋主人の妹を無視して歩く登山者に(誘うほうにも)びっくりしながら、御座石鉱泉に到着。
 
さて、荷物を担いで急な登りを歩き始めました。 
 
 
同じ電車、同じ車で来た登山者同士、なんとなく、あえば話をしながらの登り。


若い、可愛い女の子が一人、キャラバンシューズに小さなナップザックで歩いています。
 
どこまで行くのかなあ。ハイキングには向いてないコースだけど・・・などと思いながら、あちこち眺めたり、写真を撮ったり・・・。

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                                        ( 燕頭山付近からの観音岳? )
 
途中、燕頭山(つばくろあたまやま)というピークに登って、一回下ります。(もったいない)
ここで、車に乗るのを拒否したあの単独行の男性に追い越されました。
す、すごい。ものすごい速さです。
 
燕頭山は2105m。 下った道をまた上り始めたあたりから、登山道は雪に覆われ始めました。雪のところを歩いているうちに、あの、キャラバンシューズの女の子が凍った道に困っているところに皆止まってしまいました。
「可愛い」女の子ですからね。
 
ハイキングに来たのだけれど、皆が行くのでつられてきてしまった、のだそうでした。
ずいぶん頑張って登ってしまったので、
山屋の男の人たちは、「 俺たちがついているから大丈夫、ナントカしてあげるよ。」という気になったらしいでした。
 
まず、キャラバンシューズは防水性がないので、足がびっしょりでした。
ぷーままの予備の靴下を履いてもらい、その上にビニール袋、そして、ぬれた靴下を履いて、キャラバンシューズを履く、という防水を施しました。

 
彼女以外は、全員、アイゼン、ピッケル、スパッツ着用です。
当然のことですが、私のザックの中には、ツウェルト(簡易テント)、コールマンピークワン(小型ガソリンバーナー)、ガソリン、コッフェル(アルミ食器)、シュラフ、マット、ダブルヤッケ、食料、雨具、着替えが入っていました。
おそらく、他の人たちのザックにも入っていたに違いありません。
 
たとえ、天候が急変して吹雪になったとしても、その場でツウェルトに包まって2日くらいしのげる物を持って歩いていたのです。5月の3000m峰ですからね。(2800mですが) 

彼女の持ち物は、ナップザックの中にお弁当と水筒だけ。

 


だんだん高度が上がって、雪が凍りだすと、キャラバンシューズでは、雪面をグリップできないので登ることが出来なく成ります。
私たちは、彼女のためにピッケルで凍った雪面を階段状に切って登りました。
 
 
幸い、天候が崩れることは無く、無事鳳凰小屋に到着し、翌朝の早立ちのために夕方のうちに地蔵岳ピストンをしておいて、翌日は鳳凰小屋から観音岳へ凍った雪面をトラバースしていくことに決まりました。 
私たちは、いつの間にか、彼女が困ったときには近くにいるものが助ける、というそんな共同体になっていたのです。
ですから、翌日の行動も一応話し合っておかなければならなかったのです。
(彼女一人では絶対降りられないからね・・・)


一番上の写真が地蔵岳です。この岩峰を「オベリスク」といいます。
花崗岩が風化して出来た地形です。
 
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                                 (高嶺とアサヨ峰の間からのぞく千丈岳) 
 
 
 

 
さて、この日に宿泊した鳳凰小屋はふもとの御座石鉱泉と同じ経営者なのですが、とかく評判が良くありませんでした。
いまでも、「鳳凰小屋」で検索をしようとすると、「鳳凰小屋 評判」などという検索事項がでるくらいです。
そのころは、登山者をトラックにギュウギュウ詰めにしてタクシーと同じ料金を取ったとか聞いたことがありました。
実は、朝、乗せてもらったマイクロバスもギュウギュウでタクシーと同じ料金でした。

でも、そのときの私はなぜ、どうして評判が悪くなったのかと言うことは、知らなかったのです。

 

 
その夜のことです。
登山者というのは、だいたい、早い夕食を食べて、一杯飲みながら、ひと喋りしたら寝てしまいます。朝は6時頃には出発できるように(夏場は5時前)4時には起きて朝ごはんを食べます。

いったい何時ごろのことだったでしょう。
鳳凰小屋の親父が寝ている登山者を起こしたのです。
「夜叉神峠から町に下りる道が昨日崩れて通行不能になっている。今日は御座石鉱泉に降りるように。」と言うのです。
御座石鉱泉は彼が経営する、私たちが登り始めた場所の温泉です。

私は、数日は夜叉神峠の小屋にいるつもりでしたので意に介しませんでした。
予定の時間まで、また寝ました。
他の人たちはいろいろ考えたようです。
評判を知っている人たちは、「行って見なければわからない」と思ったようです。
「いきゃあなんとかなるさ」というケセラセラ的な人もいたようです。

 

そこそこのお天気の鳳凰の尾根をあっちを見、こっちを見、ゆったり楽しく歩きました。
なだらかな下りがちの道ですから、楽ちんで、
ただ、深い残雪の表面だけ凍っているので、うっかり踏み痕をはずすと、『ボスッ』と腿の付け根までもぐってしまい、その表面のかたい氷にぶつかるので、腿の付け根にぐるりとあざができました。
 
 
夜叉神峠から登ってきた自転車を担いだ3人連れには驚きました。
何でも自転車には『峠越え』と言う記録があるそうで、そのために自転車を担いで高い山の峠も越えるのだそうです。
 

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鳳凰三山、最高でした。
なんと言っても、私の一番大好きな北岳がずーっと右側に見えているのです。
 
 
 
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これは、たしか観音岳の頂上だったと思います。
 
 
 
 
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雲をバックにしている右の山が北岳。手前に続くのが冬登るのに使った池山吊り尾根。
左は間の岳(日本4位の高さ)。
このふたつの山の鞍部に北岳稜線小屋がありました。
 
 
 
 
最後のなだらかなくだりを走って降りていくと、前方から大きな黒い影が・・・
 
「 あら、クマだわ! 」
 
周りの人のあせったこと。
このときの「クマ」は、夜叉神峠の小屋のオーナーの飼い犬。
大きな犬で、私も初めて夜叉神峠に留守番に行った時に夜中に壁を引っかく音におびえたものでした(笑)。
 
 

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無事、夜叉神峠の小屋について、道のことを訪ねると、鳳凰小屋の主人の話は全くの嘘。
いやー驚きました。
あんな嘘、付いちゃう人がいるんですね。
 

 
 

 
 
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通行止めと聞いても夜叉神峠に来た7人。
キャラバンシューズの彼女も来ました。
好天とみんなの親切に支えられて、3000m近い春山を縦走してしまいました!
 
皆と住所の交換をして別れました。
このあと、夏に北岳に来てくれた神戸の人もいました。
写真を撮って、山からのパノラマの俯瞰図を作ってくださった人も・・・(けっこう有名な方でした)。
 
しばらくお手紙のやり取りをしていたのですが、もう今は音信不通です。
 
 
 

 
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若き日の山ですよ。
 
 
 
 
 

Posted by Okada at 00:58 | Comments (4)

2009年10月19日

丹沢のいい男、やっぱり田吾作

大山を登り終えたヤビツ峠の愛すべき田吾作。
 
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(手ぬぐいはヤビツ峠売店にて400円で購入) 
 
 
 
このあと、弱虫のノエルは、足洗いの水を汲みに行く間車につながれただけで、心臓ドキドキの大騒ぎ。

しょうがない。

ノエルのトラウマは獣医院の前につながれて捨てられたところから始まる。
 
つながれて私がいなくなるのが今でも一番こわいのだ。
 
 
 
 

 
 
 

Posted by Okada at 00:00 | Comments (4)

2009年10月18日

大山 VOL.2

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さらに、霧の中を歩いていくと・・・


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前方に集中してぴったりとまるノエル。
 
 
今回、何回かあったのがこれ。
 


このまましばらくすると、前方から、鈴を鳴らしながら登山者が来る。
小さな音でラジオを鳴らしながらと言う人もいた。
 
イノシシ、シカ、熊などの野生動物と鉢合わせしないために鳴らしている音にノエルが反応しているのだった。
いやはや、ノエルも含め、彼らの耳は人間よりはるかに敏感なんだろう。
小さな音でも鳴らしていれば、彼らは、私たちが行くずっと前にそこを離れるんだね。
 
 

わかってからは、すれ違える場所に移動して、待っていることにした。

「 え?いくの? 」 
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小心ノエルがちょっと心配そう。
 
 
 


 
 
「 あら大変、とうとう雨が降ってきちゃったわ。 」
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これも今回、何回かあった。 

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地面もぬれているし、雨粒が顔や手に当たる。
 
ところが数m行くと、地面はぬれていないのだ。
 
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そんな雨の降っている場所。

①たいていは、上を見ると、風の通り道になっていて
②たいていは、霧粒を捕まえる杉の木が生えている

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って言うようなことに、今回初めて気がついた。
 
 

 

 
 
 
もうひとつ・・
 
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これは前から良く目にする、何の糞かなあ。
わざわざ石の上とかにしてあるの。
タヌキ??キツネ??イタチ??

ネットで調べてみたら、どうやら、こういう石の上に目立つようにする、しかも、秋に木の実とかが多く入る糞はテンのものらしいです。
 
今回びっくりしたのがこれ。(写真をクリックすると大きくなります。枚数が多いので。)
 
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地面は見事に掘り返され、笹は茎だけ残して棒のように立っている。
 
地面はイノシシだろう。
笹はシカだろう。
 
山が養える量を超えてしまったのだ。
いや、彼らを養える山が減っているのだ。
 


山頂手前に、ノエルがとても歩きたくなさそうな階段があった。
 
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階段の外を歩けないようにしてあったので気づいた!
 
これは、野生動物が通れないように作った階段なんだって。
 
 
 
良く見たら、説明も書いてあった。
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登山者で、この説明を見ている人なんていなかったけどね。(お天気がよければ見るかも)
 
 
 
何回か森の中から悲しげなシカの鳴く声が聞こえてきた。
シカの鳴き声ってどうしてあんなにさびしげなんだろう。

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そのたびに、とまって聞き入るノエル。


 
 


3分の2ほど降りたところで、天候が回復してきた。
まあ、雲の中から出たと言うことかもしれないけど。
 
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最初のバスで着いた人たちがぞろぞろ歩いてきて、ノエル連れの私は待つことが多くなった。
 
上りに1時間20分、下りにも同じ時間がかかったのは、膝のせいばかりではない。
 
 
 
 

 
 
紅葉にはまだまだだった。
またくるわ。 
 
 
  
 
 
 

Posted by Okada at 11:02 | Comments (4)

2009年10月17日

大山 VOL.1

5時に起きたら真っ暗だった。
 
のんびり用意して6時ちょっと前に出発。
 
馬入の橋を渡りながら、大山のほうを見たけど、雲の中で見えず。
 
 
 
 
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246を超えて、蓑毛に向かう道に入っても、山の上のほうは雲の中。
 
 
 
 

菜の花台を過ぎたら、雲の中に入ってしまった。

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7時。
ヤビツ峠の売店の小父さんがちょうど鍵を開けているところだった。
 
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気温は12度。
 
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寒いようでも、歩き出したらすぐに暑くなるから半そでTシャツ(ぬれても冷たくならないヤツ)にコットンシャツで出発。
 
 
 
 
あ、今回、ノエルが同行。
以前E&Jかあちゃんに作ってもらった長袖のレインコートを着用。

丹沢はヤマビルが大発生していると聞いているし、シカやイノシシの歩いた後にはダニなどがいっぱいだからね。
 
 
 
 
 
さて、出発!!
 
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大山山頂まで往復4.6km、標高差500m。
 
 
 
 
 
 
 
 
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行けども、行けども雲の中。
 
霧雨のようになったり、梢から水滴が落ちてきたり・・・

それでも、一時間ちょっとで頂上直下の分岐点まで来た。

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ここから、少し岩ゴロゴロの急登。
 

 


さあ!
鳥居のところに来た。
 
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さらに登る。
 
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大山山頂奥の院。 朝9時ではまだ開いていない。 10時からかな??

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天気がよければ、ここから回りこんだ斜面が気持ちがいいのだけれど、この霧ではどこもびしょびしょ。 
 
だいたいそこらじゅうが鹿のフンだらけなので、ノエルに落ち着いて座らせることも出来ない。
 
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霧で展望は全くないし、これで雨でも降ってきたら・・と言うので、飲み物を少し飲んですぐに下山。

 
視界に入るのは相変わらず白くかすんだ世界。
 
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こんなお天気の土曜日に、山でお仕事をしている人発見。
頭が下がる。ほんとうにご苦労様。
 
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斜面の崩落を防ぐ工事中。 話し声を聞いていると、県が発注しているらしい。ふぅーーん・・。
そういえば、登る途中で、県の水源のどうとか書いてあるものがあったな。

神奈川県では、現松沢知事になってから『水源環境の保全・再生するための個人超過税』なるものを取るようになった。この、トルに関しては、「盗る」になりかねない・・と危惧していた。一人当たり、平均月額79円、総額38億円(年額)の税金をあつめているのだけれど、こういうところに使っているのは 『よし、よし!』だね。

( 県のほかの部署が絡むと、こんなことやらせていて金盗るか??と腹を立てることもいっぱいあるけど・・・ )
 
今調べたところ、丹沢大山の保全・再生対策は、実行5ヶ年計画で総額7億9600万円が計上されているのだよ!!


まあ、なんとなく、難しいことも考え、その横を遊んでいる人が通る(私も含め)事をなんとなく申し訳ないなあなどと思いながら、下っていった・・・
 

 
  
 
 
 
 


 

あとは vol.2へ。 
 
 
 
 

Posted by Okada at 16:51 | Comments (2)

2008年09月23日

古い写真から・・正月山行(1975.1.1)

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古いね。
1975年だって!
 
KRA(北岳稜線小屋アルバイト組合)の正月山行です。
 

 
あんなに通っている北岳に冬だって登りたい。という面々が
山岳写真家、白〇史郎に師事していたことのあるカメラマンのY氏をリーダーに集まりました。

冬山の経験者は2人だけという集団でした。

他大学の山岳部にいたというアルバイトOBもたのんで、11月の富士山で、雪上訓練もしました。
(ピッケル、アイゼンの使い方の練習ね)
羽毛のシュラフも買い、今の装備と比べると雲泥の差でしたが(まだ、ゴアテックスは発明前)、
冬用のダブルヤッケやオーバー手袋、ロングスパッツなどもそろえて、意気揚々と出発した甲府駅です。
 
 
 
 
 
 
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タクシーで夜叉神峠まで入ります。
さあ、ここからは、全部徒歩ですよ。
 
 
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すぐにとても長い夜叉神峠のトンネルがあります。
雪が吹き込まないように入り口にはシートがかけられていて、中は氷点下。
あちこちにツルツルの水溜りがあって、転ばないように注意しながら歩きます。
 
これは、いくつめのトンネルだったかなあ。
最近いかないので忘れましたが、夜叉神のトンネルではなかったと思うのですが、
向こうに立っているのは、天皇陛下(昭和天皇)がここまで北岳を見に来たという石碑です。
 
 
さらに林道を歩き続けます。
 
カーブのたびに、道路は見事に凍りつき、気をつけて歩いていても、時々誰かがすってーんと転びます。
 
北岳へは、ここから、鷹巣山という小さな山を登って、そこから下を流れる野呂川まで一気に下り、発電所の橋をわたって対岸に登るのです。
とても急な山道で、みんな、さらに、転ぶ転ぶ。
歩いていたら、マヨネーズが落ちていました。
『ラッキ~! 誰が落としたか知らないけど、賞味期限内だし・・』

そのうち、バターも拾いました。
ほかにも・・・
・・・え?
うちの装備といっしょじゃない??
・・・・・え??
先頭を行く仲間の背負子につけた一斗缶のふたが曲がって、中身がぶら下がっている・・・
 
 
 
なあんだ、自分たちのもの、拾ってただけじゃん。
 
 
 
 

初日は対岸の林道のトンネルの中にテントを張って寝ました。
 
 
二日目はいよいよ、尾根を登り始めます。
 
1975コピー01正月山行04.jpg

冬の北岳を登るには、この、池山吊尾根(いけやまつりおね)しかないのです。
 
 
 
1975コピー01正月山行06.jpg

ひたすら、ただひたすら登ります。
 
 
 
 
 
ついたところは池山小屋なのですが、このときの写真はありません。
(1)コピー741121白根三山02.jpg
この写真は、一月以上前に行った時のもの。 
 
 
さて、テントを張るために、雪を踏みならします。みんなで肩を組んで、行ったり来たり。
1975コピー01正月山行09.jpg

若いってすごいなあ。
こんなことがうれしくて、みんな満面の笑み。
 
3日目。
ボーコンの頭まで登ります。
初心者もいるので、行動は、ゆっくりゆっくり。
 
1975コピー01正月山行11.jpg

樹林帯を抜けて、見晴らしのいいところにつきました。

1975コピー01正月山行13.jpg

富士山も見えます。
ここにアタックキャンプ(大げさ!)を作ります。
 
1975コピー01正月山行15.jpg

まずは、斜面で雪遊び。
 
1975コピー01正月山行16.jpg
 
1975コピー01正月山行17.jpg

 
テントは斜面の上部(なだれないように)の、少し風下に雪を掘り込んで設営しました。
周りには雪のブロックを積んで風を防ぎます。
 
 
1975コピー01正月山行14.jpg

雪山では、人目の無い陰のところに行って、用を足すのですが、ここは周りに木も生えていないので、雪を掘って、さらに、ブロックを積んでトイレまで作りました。
雪は掘るとハイマツに突き当たり、松の香りで消臭効果までありました。
背負子を組んで天井まで作られており、突き当りには、なんと!神棚まで作ってありました。(男は、懲りだすとしょうのない生き物だね・・・神棚には、雪の鏡餅にオレンジの飴が乗っていた)
吹きすさぶ雪の中でも安心して使えるトイレだったね(笑)。
 
 
 
 
すべて設営が済んで、アルミカップでウィスキーの回し飲み。

当時、学生の貧乏登山だったので、もって行くのは、いつもサントリーレッド。
内側がコーティングされているシグ(SIGG)の高価な水筒はウィスキーをおいしく、安全に山に持っていくためのもの。みんなで詰め替えるのですが、1人だけ社会人の会員がいて、彼が持ってくるサントリーホワイトが、うまくそれだけ、というわけにいかなくて、まざってしまう。

結果、出来上がったのが、サントリー「ピンク」!

あはは、なつかしいなあ。
山では、安いウィスキーだっておいしいのだ!
ただし、野外でアルミカップで飲むときは、唇が凍りつかないようにだけは注意しないといけない!


 
 
翌日、頂上を目指します。
1975コピー01正月山行20.jpg

1975コピー01正月山行22.jpg

ここまでくると、夏、通いなれた道。
 
1975コピー01正月山行23.jpg
 
1975コピー01正月山行24.jpg

稜線小屋からの分岐が見えてきた。
あそこを左に行けば稜線小屋から銃走路、右に行くと頂上です。 
 


1975コピー01正月山行25.jpg

このときの写真が『山と仲間』の表紙になりました。
 
 
コピー山と仲間 表紙.jpg 
 
 

 
 
 
帰りの記憶は余りありません。
くだりには、あまりハイライトはないし、
どうも、写真も無いところは、忘れていってしまうようです。 

 
 
 
 
 
  

 

 
 
 
 
 

Posted by Okada at 15:15 | Comments (14)

2007年07月25日

初めての冬山・・3 (古い写真12)

無事稜線小屋について、3日目。
今日はお隣の農鳥小屋までです。
カメラマン氏の写真撮りのお仕事があるので、出発の時間もとっても遅いです。
 
 

 
最初に、前日、遅くなって撮れなかった、小屋に着くところの写真を撮りました。
この日はうって変わっていいお天気。 

 
コピー741121白根三山08.jpg

後ろに見えるのが北岳山頂です。
本来、こうやって稜線小屋に到着するのです。


コピー741121白根三山05.jpg
 
小屋は、土間付きの小屋が、冬山登山者に開放されています。
3000mの稜線はものすごく寒いですから、みんな、小屋の中でテントやツウェルとをつるして寝ます。雪の上で寝るより、はるかに暖かいですから。
 
 
 
  
 

                                      
                          続きは、また明日。

 
 
さて、この続き、写真がありません。
 
この日も、真ん中にある、間の岳(日本で、4番目に高い)の山頂で、
『これから、日が沈むから待て』といわれました。

夏山においてでさえ、『日が高いうちに宿泊地に着け』というのが、鉄則な山の上ですよ。
 
 
カメラマンのY氏が日没の写真を撮っている間、ぷーままともう一人は、ずーっと寒さをこらえて
待っていました。
少しでも風を防げる岩陰を探して、そこで、どのくらい待ったでしょうか。
 
ときどき、Y氏が、
『悪いけど、バッテリーを暖めてくれるかなぁ。』と、持ってくるので、
それを体温で暖めます。
凍り付いているバッテリーですから、冷たいのなんの。
 
 
でもね。
写真を撮っているY氏は、うすい絹の手袋一枚ですよ。
 
 
すっかり日が沈んで、暗くなってから、農鳥小屋に着きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何で、写真がないかって???
 
あの頃、私たち、写真にちょっとうるさかった人たちは、撮り終えたフイルムを最後まで巻き込みませんでした。必ず、4センチくらいフィルムの端をパトローネ(フィルムの入れ物)から出しておくのです。
そうしないと、光が入ってしまうことがあると聞いていました。
 
ところが、使用済みのフィルムと未使用のフィルムの区別がつかなくなるのです。

私たち、フィルムも自分で巻いて使っていましたから、フィルムの端を出してしまうと、どれがまだ使っていないフィルムかわからなくなってしまうのです。
だから、私は、必ず、撮り終えたフィルムを入れる袋を決めていました。
 
多分カメラマン氏もそうだったと思うのです。
でも今回は、申し訳ないことに、こんな初心者を連れていたために、注意が行き届かなくなったんですね。
使用済みのフィルムをカメラに装着してしまったのです。
そんなわけで、この翌日、農鳥岳を登って、大門沢に降りるまで、写真がありません。
 
 

 
 
 
コピー741121白根三山11.jpg
 
大門沢の小屋で一泊し、降りる途中の写真です。
山を降りれば、深まった秋の景色です。
 
コピー741121白根三山12.jpg
 
山を降りると、平家の落人部落といわれる奈良田温泉、西山温泉と続きます。
 
私たち、西山温泉、蓬莱閣という旅館で温泉に入って帰りました。
自炊の湯治客がたくさん逗留していた温泉でした。
 
ぷーままは、女性用の全部木でできた内湯に入ってきました。
ところが、待てども待てども、連れの男性二人が出てきません。
 
 
どのくらい待ったでしょうか。 
やっと出てきた二人は、真っ赤な顔をしてのぼせ上がっています。

二人は、大浴場に行ったらしいのです。
男性用の脱衣室から、浴場に入ると、なんとそこは、混浴の大浴場だったのだそうで、
いるのは、年寄りばかり。
20台半ばの彼らは、おばあちゃんたちの総攻撃を受けて、湯船に使ったきり出られなくなったのだとか。
 
ものすごい時間浸かっていたんだと思います。
ほんとうに二人とも、真っ赤でしたから。
 
 
 
 
 
  
うちに帰ったら、母に、『くさい』といわれました。
「あら、温泉に入ってきたわよ。」というと、
『硫黄くさい』のだそうです。
周りにぷんぷんにおうほど、西山温泉は硫黄分たっぷりのお湯だったようです。
 
 
 
 
 
 
  
 
「初めての冬山」に使った白黒写真はすべて、カメラマンのY氏の撮影です。
 
(さすがに、いくらぷーままでも、大きなニコンを持ってはいけませんでした。) 

Posted by Okada at 00:56 | Comments (2)

2007年07月24日

初めての冬山・・2 (古い写真11)

                   (初めての冬山の写真はすべて、カメラマン、Y氏の撮影です)

さて、さて、
いよいよ山の中に入っていきます。
いつも、タクシーでピューンと行ってしまう林道を途中で降りて、川を渡り、対岸から、尾根を登ります。
登りだすと、だんだん雪が出てきて、その日の宿泊地、池山尾根の小屋につく頃には、もうヘロヘロ。
何回も、小屋に着いたという幻覚を見ましたから・・・ 
 
「あ、小屋だ!やっと着いた・・」 ・・と歩いていくと、さっき見えていた小屋がなくて、ただ木が茂っているだけなのです。
 
 
 
それでも、何回目かの正直で、やっと池山小屋に着きました。

コピー741121白根三山02.jpg
 
 
 
 
この日は、池山小屋の中にツェルトを張って一泊。 
 

 
           あらら、こんな時間になっちゃったから、明日かきたしますね。
           おやすみなさい。
 
 

 
さて、2日目は、池山尾根の小屋から北岳稜線小屋です。
しばらくは、樹林帯の中の急なのぼりが続きます。
 
ここで、白状します。
実は、ぷーまま、石〇スポーツで聞いた話をしっかり信じ、冬山装備など要らない山行だ
思っていたのです(!!)。
私が尋ねないものだから、連れて行ってくれた人も装備を言ってはくれませんでした。
 
それでも、ピッケルだのアイゼンだの持っていたのは、単純に『新しく手に入れたものを持って歩きたかったから(!)』だったんです。
このときばかりは、この、新物好きの性格に助けられました。
 
 
 


 
 
コピー741121白根三山03.jpg

二日目は最初から、冬山装備です。
ダブルヤッケを着て、ロングスパッツを着け、ピッケルを突きながら 登りました。
毛糸の帽子だけは、忘れました。だから、フードをかぶっています。
 
 
 
樹林帯を抜ける頃には、もう、しっかり冬山。
おまけに天気も悪くなってきました。

八本歯のコルの手前、ボーコンの頭に着き、いよいよアイゼンを装着しました。
八本歯のコルへは、右の切れ落ちた岸壁をたどります。
初心者のぷーままのために、ザイルを出してくれました。
ザイルに結ばれて、トップの人が斜面を下り始めました。 もう一人の一番後ろのカメラマン氏は、写真のことをやっていて、まだ、ザイルをつけていなかったのだそうです。
 
そのとき、トップが足を滑らせました。
私からは、死角になっていて見えません。
そのまま彼が落ちたとしたら、私も引きずられて一緒に谷底に落ちていくところでした。
『後ろが初心者なのに、まずい!』と、必死に滑落を止め、何とか、斜面を登ってきたのだそうです。
いつまでも「来ていい」と言われないなあ、と思っていた間に、とんでもないことが起きていたのでした。
ものすごく待って、やっとトップのところまで行って、話を聞きました。
でも、正直、どんなに危険の瀬戸際にいたのかって事、そのときは、わかっていないぷーままでした。
 
コピー741121白根三山04.jpg

 

この後、カメラマン氏の撮影を待つこと数十分。

カメラマンと一緒の冬山は、とにかく寒いのだ・・・
 
 
 
 
 
 
やっと、北岳に向かいましたが、もう、すごく遅い時間になってしまっています。
本来、尾根を行くべきだったのでしょうが、私たちは、距離の短いトラバース道を行きました。
(トラバース・・・斜面を横切ること)
相変わらず、ぷーままはザイルの真ん中につながれています。
 
トラバース道は、左に切れ落ちた、東向きの急斜面です。
当然、左側への滑落の危険もあり、急斜面についた雪が崩れる危険もあります。
時間が遅くなって、気温が下がり、雪がさらさらになって、足元が崩れます。
風が吹くと、雪が舞って、息を吸うと雪がのどの奥まで入ってきてしまって、呼吸が出来ず、
雪に溺れてしまいそうになります。
 
そのうち、ちょうどぷーままが、谷気味のくぼみのところを歩いているときに、足元が流れました。
くぼんでいるから、雪が多いところです。
なだれという程の事はないのですが、足元がどんどん崩れてしっかり立てません。
足を突く、奥のほうの雪が流れている感じ。
足が岩につかなくて旨く立ち上がれないのです。
そのときはカメラマン氏がトップでした。
実は、彼もとても危ういところにいたそうで、速く通過したかったのだそうです。
立ち上がりたくても足元は崩れるし、ザイルで引っ張られるし、もう、雪に溺れ死ぬかと思いました。
もたもたもがいているぷーままを、ラストの一人が、「よいしょっと」、と、立たせてくれました。
一回足が地に着けば、あとは歩けました。
よいしょってしてくれた人が天使に見えました。
 
 
 

 
今考えると、本当にこの日の行動は、良くぞ死ななかった、と思う出来事の連続でした。
初心者のぷーままを連れている事で、ベテランの彼らから、余裕を奪いました。
何もおこらなかったから、話せるんですが・・・
 
よいこの皆さんは、決して真似をしてはいけません。 
 
 


 
 
 
 
 

Posted by Okada at 02:55 | Comments (6)

初めての冬山(古い写真10)

夏休みが始まって、することも増えて、やり終えたら12時を過ぎていたわ。
それから、いろいろ済ませて、部屋に戻ったのが1時過ぎ。
しょうがないけど、ハードね。
更新するのがやっとで、皆さんのところに、訪問できそうもないのです。ごめんなさい。 
 
 
       (初めての冬山の白黒写真はすべて、カメラマン、Y氏の撮影です)


コピー山と仲間 白根三山縦走1.jpg
 
雑誌、『山と仲間』に載ったこの写真。
アルバイト組合なるものを立ち上げて、
後輩に登山を教えてくれた北岳稜線小屋のアルバイトの大先輩、
白旗〇朗さんの弟子だったカメラマンの卵氏と、
その友達に連れて行ってもらえることになった、若かりしぷーままの初めての冬山でした。
 
 
とにかく、冬山のなんたるかも知らず、良くぞ無事で・・・(こればっかり!)・・の冬山。
 
出発は11月21日。
だいたい、11月末の3000mの稜線が、どんなに冬かも知らなかった・・・
 

 
 
 
 
KRA(北岳稜線小屋アルバイト組合)で、冬山も登ろうという話が出ていたので、
道具好きのぷーままは、さっそく、ピッケルやアイゼンを買いに行きました。
 
当時、山道具屋といったら、一番ポピュラーだったのは、新宿のICI 石〇スポーツ。
何しろ、お店が大きいから、品揃えはいいし、値引きもけっこうしてくれたし、
新宿発の夜行で出発する前にガソリンなんかも買うことができた。
 
(人気がなかったのが、秋葉原のニッ〇ンだった。
 100万人の山と遭難者の・・と私たちCMをもじって言っていたっけ。)


ぷーままは、『シモン』というメーカーの下請け会社が作った銘無しのピッケル。
(『シモン』のは、高かったからね。)
もう、今じゃあ、使っている人もいないだろうけど、ウッドシャフト(木の柄)のピッケルでしたよ。
(今は、クロームモリブデン鋼とかチタン合金らしいです。)
ウッドシャフトは、水を吸って割れてしまうので、防水のために、シャフトに包帯を巻いて、亜麻仁油をしみこませました。

DSC_1978.JPG

(金属部分は錆びているけど、今でも、シャフトは、そのころのままだよ。)
 
 
アイゼン・・・靴の下につける滑り止めの金属の歯・・・は、当時としては最先端のアメリカ製の出っ歯のジュラルミン製のものにしました。
 
着る物は、ただのナイロンのダブルヤッケでしたね。
まだ、ゴアテックスも存在していませんでしたので、『防水』イコール『冬はゴワゴワ』でしたから。
 
その装備にくわえて、羽毛のシュラフ(今でも愛用しています)、ロングスパッツ、オーバー手袋。
けっこうな出費でしたね。
今でも、当時山にどのくらい投資したかの記録をとってありますが(捨てられないの)、
山に登るためにアルバイトして、生活していたようなものです。
 
 
 

 
 
さて、道具に思い切り脱線してしまいましたが、その、石〇スポーツで、買い物をしているときに、横で店員とお客さんが話しているのが耳に入ってきました。
『いやあ、この間、八ツに行って来たんだけど、今年は雪が少なくて、砂嵐が舞っていたよ。』
 
 
・・・ふーん、今、山の上は、そんななんだ・・・。
漠然とそう思ったぷーままでした。



 
さてさて、いよいよ11月21日、初めての冬山に、富士山の次に高い北岳に登りに出かけてしまった、無謀なぷーままです。
大学は文化祭で休講。サークルに入っていないぷーままは、大手を振って出かけられました。

 
11月といっても、山の上は真冬。
 
コピー741121白根三山01.jpg

 
でも、ふもとの林道のこんな気持ちのいいところで、休憩して、飴なんかほおばってるぷーままは、お山の上がどんなだかなんて、考えてもいませんでした。
 
 
 

 
 
          長くなっちゃったので(脱線ばっか・・笑)、ここで一回切るわ。
          こんなことばっかり書いているから、皆さんのところに訪問できなくなるのね。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

Posted by Okada at 02:27 | Comments (4)

2007年07月14日

嵐の朝に・・ (古い写真 9)

7508夏稜線小屋89.jpg
 
また、この写真から始まる話。
 
 
あるとき、とんでもない嵐が近づいていて、小屋は大混雑。
雨の中、小屋に到着して、一泊して、ひどい天気に出発できない人は連泊する。
そんな天気でも、下界からは新しい宿泊客がどんどん小屋に到着する。
 
受付係のぷーままは朝ごはんが済んでから、ずっとお仕事。
何しろ、お客様の「変更につぐ変更」対処だから。
 
そのまま、ひどくなる風雨の中、延々とお客対応が続いて
普段より、ずっと遅い時間にやっとご飯を食べ、寝た覚えがある。

そして、夜中。 
 
あまりの強風に、地べたの石が飛んできて、この写真の小屋のガラスが割れたそうな。

小屋の周りにテントを張っている人たちも小屋に逃げて来始めたのだとか。
何しろ、テントが破れてしまいそうなのだから・・・
だいたい、破れなくても、テントの中は水浸しだったはず。
みんな、びしょぬれで小屋に避難してきたとか。 
 
小屋は、といえば、もう満員。
そこへ、新たに避難民。
しょうがないから、土間にブルーシートをひいて、居場所を作る。
 
とにかく、3000mの稜線では、宿泊を断ることは出来ないのだ。
命にかかわるからね。

みんな、夜中に、ガラスをはねのけて起きて、登山者の世話をしたのだそうです。
「だそうです。」なのです。
そう・・・
ぷーまま、昼間に、他の人のように昼寝もせず、思い切り働き続けたので、
夜、ガラスが割れたのも知らず、朝まで (って、3時半までですけど) 眠り続けました。
朝、起きたら、周りがガラスでキラキラしているので驚きましたよ。
 
 
 
 

 
 
 
 
嵐の通り過ぎた朝、
怒涛の登山客を送り出して、外に出たら・・・
 
7508夏稜線小屋85.jpg

一つだけ、つぶれずに立っているテントがありました! 


「あれ、誰のテント?」
「んーーと、あれはぁ・・・。(ノートを見る) あ、東大水泳部ですよ。」
 
大笑いしました。
内心感心していましたけど・・・。
小屋に避難した人たちは、テントをつぶして上に石を乗せてきます。
破れたり、飛んだりしないように・・です。
東大水泳部の3人、朝までテントの中で頑張ったです!
さすが、天下の東大です。
 
 
 
 
 
  
 
後日談。

稜線小屋では、毎日、気象観測をして、それを甲府の気象台に送っていました。
天気、降雨量、風向、風速、視程、雲量だったと思うのですが、
ガラスが割れた騒ぎで、風速計小屋の鍵が見つからなくなってしまいました。
 
無線連絡の時間が近づいてきます。

・・・
係りの者が困って、オヤジさんに相談しました。
 
「そうさな・・・。
 昨日の風だら、だいたい49mくらいずら。
 そう言っておけ。 」
今朝光 (けさみつ) さんの答えでした。
 
私たちは、内心、
「えーーっ!
 予想を報告しちゃうわけ???」
と、かなり反発した感想を抱いていました。
だいたい、風速49mって、想像もつかないし・・・
 
 
 
 
 
翌日、毛布等のガラクタの中から、鍵が見つかりました。
さっそく風速計小屋の中を調べると、
 
な・・・・・なんと!!
 
記録は風速49m!!!
 
いやぁーー、あのときくらい、オヤジさんたちを尊敬したことはありませんでした。
オヤジさんたち、というより、オヤジさんたちの経験を尊敬したのかもしれませんが。

 
 
 
 
 
 
 

 

Posted by Okada at 01:06 | Comments (8)

2007年07月13日

昔の思い出 (古い写真 8)

7508夏稜線小屋89.jpg

何回目かの登場だけど、この写真。
これ一枚で、いくらでも話が出来るくらい、思い出がいっぱい。
 
 
 
 
 
「売店口」の、値段表。 
今、拡大してみたら、書き直したぷーままの字になっていた。
残念。
 
最初、ここには、オヤジさんたちが書いた値段表が書いてあったのだよ。
忘れもしないよ。 
「コーラー」 
「ファンター」
「コヒー」
 
ああ、どうして最初の値段表の写真を撮っておかなかったんだろう!!!
 

 

オヤジさんたちのかたくなな癖、自己主張。
いやみじゃなかったから、大好きだったなあ。 

甲州弁。オヤジさんたちのは年季が入っていて、難しかった。
だいたい、初めてバイトに入った子達が失敗するのが、「チョ」。

「おやじさん、これ、どうします?」
「あ、それは、捨てッチョ。」 
・・・みんな、この一言で、捨ててしまって、後で怒られた。
甲州弁の「チョ」は、「いけない」という意味なんだよ。
わかる訳無いよね。
 
「そっち行っちょ。」→「行っちゃいけない。」
わかるか!!
 

 
今朝光さんは、カレーに、ドバッと塩を入れる。
半端じゃない量だったよ。
それを入れられないようにするバイトとの攻防戦はすさまじかった。
 

 
 
普段ずっと長靴を履いているオヤジさんたちの靴下の臭かったこと。
いつも洗濯係を泣かせたものだった。
みんなナイショで、小屋の裏の石の上に干しておいて、あわよくば、雨で一回流してから
洗いに行ったものだったよ。
 
 
 
 
 
 
あーーん、まずい。
昔の事は、いくらでも思い出せる。

 
 
 
 
 
 

Posted by Okada at 23:35 | Comments (2)

北岳稜線小屋 売店 (古い写真7)

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北岳稜線小屋の3つあるプレハブの真ん中の、一番小さなプレハブ小屋。
 
 
ここは、私たちの事務所であり、メインの仕事場であり、食堂であり、寝室であり、
そして、登山客の食堂でもあった。
 
朝、起きると、毛布とマットレスを片付け、
両側によけてあったテーブルを2列、部屋の真ん中に出すと、
あっという間に客用食堂になる。

7508夏稜線小屋49.jpg

よほど空いているときでないと、いす(ベンチ)など出さない。
小屋の収容人数に比べて、食堂が小さすぎたのだ。
一度に40人くらい食べてもらって、それを3回、4回と交代制でやっと全員まかなえるのだった。

7508夏稜線小屋43.jpg

7508夏稜線小屋44.jpg
 
登山人口がとても多かったし、ここは、南アルプスの『銀座』とも言うべき、とても人気のあるコースだったので、自炊でない宿泊客も、とても多かった。
今考えると、とても質素な食事だったが、『パンの耳をかじりながら縦走する』ような人がいた時代だから、炊き立てのご飯と温かい味噌汁が出るだけでも、贅沢・・と思っている人も多かった。特に、南アルプスにはね。
 
左奥の掘っ立て小屋の中には、洗い場があって、
3つ並べた大きな桶の中で、食器を洗った。
1つ目には洗剤の入ったお湯。2つ目と、3つ目にはお湯が入っていて、しばらく使うと2が1に、3が2になるシステムだった。
 
この小屋には水源が無いので、ふだん炊事に使う水も、食器を洗う水も、私たちが飲む水も全部、屋根から引いた、『天水』(てんすい)・・・雨水だった。
小屋の裏手にはふたをしたドラム缶が壁際にズラーっとならび、
雨が降ると、雨どいからドラム缶に水をためるようになっていた。                                       
宿泊客に配る水も、当然天水。
水は、本当に貴重だった。 
 
宿泊客の朝ご飯が住むと、やっと自分たちの朝食。 
3時半に炊飯器のスイッチを入れてから、4時間くらいして、やっと朝ご飯だった。
 
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7508夏稜線小屋52.jpg


食後は登山者が出て行った後の小屋の片付け、そうじ。
昼近くまで、いろいろと雑用があった。
 
昼間の空き時間には、みんな、小屋で毛布をかぶって昼寝。
とにかく2900mの稜線は夏でも最高気温15℃。
昼寝には最高の気温だった。
 
前にも書いたけれど、ぷーままはお祭り屋なので、こういう所に行くと興奮してしまって(?)
眠れない。
もう一人ねむれない山梨大学の子と二人で、残りご飯でお弁当を作って売ったら
けっこう売れて、ほめられたっけ。
 
昼過ぎには、登山客がちらほらと到着し始める。
3時過ぎには受付を開始して、4時半ごろには晩御飯を食べさせ始めていたように思う。
登山者は朝が早いからね。
夜も早く寝てしまうのだ。
 
 
ぷーままは、途中から、受付係をおおせつかるようになった。
なぜかっていうと、
受付は、お金の間違いが多い。
特に、薄暗い小屋の中でのことだから、後で精算してみると足りないということがしょっちゅう。ところが、ぷーままが受付をしてくると、いつも、計算よりお金のほうが多い。
 
ひどいときには数千円少ないこともあったのに、ぷーままだけは絶対現金のほうが多い。
 
いつも計算をするオヤジさんに、
『これからは、〇〇がやれ!』と言われたのだ。
 
言っておくけど、お釣りが少ないってクレームがついたこともないし、いつも明朗会計だったのだよ。
どこかから文句が出たことだって無い。
なのに、いつも現金が多かったんだ。
食事だってお弁当だって、ちゃんと確認してるし、寝具だって二人で確認して出していた。
ぷーままだって、どうしてだかなんてわかりゃしない。
とにかく、少なかったことは一回も無かった・・・ 

 
 
 
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Posted by Okada at 00:18 | Comments (12)

2007年07月08日

北岳稜線小屋の事 (古い写真6)

当時の北岳稜線小屋を、後ろの稜線から撮った写真。
3棟の鉄筋プレハブで出来ていた。
 
7508夏稜線小屋90.jpg


一番右が中にコの字型に2段の床が付けられた宿泊専用の小屋。
 
 
真ん中は、「食堂」 兼 「売店」 兼 『従業員宿舎』。
こんな狭いところで、登山者に一回に40人くらいずつ食事をさせたのだ。
われわれは夜はそこで寝た。


一番左にちょこっとだけ写っているのも、宿泊用プレハブ。
右のより、ちょっと大きく、建物の谷側に、石とトタンで囲った土間がついていた。
 

 
 
 

 
今探したら、一枚だけ宿泊小屋の内部の写真が見つかった。
当時の私たちには、小屋の内部は写真に撮るような対象ではなかったんだ。
これは、右の小屋の中。

コピー750627北岳お花見山行14.jpg
 
KRAでキタダケソウの花見に出かけたときの写真。
ちょうど小屋の荷揚げとぶつかって、写っているのは全員関係者。
 
左の二人は、三人いたオヤジさんのうちの二人。
残念ながら、お二人とも何年も前にすでに亡くなられている。
 
白い帽子は、ちょっとニヒルでかっこよかった富盛さん。
奥の丸顔で笑っているのが、無口でやさしかった丑雄さん。
右の4人はアルバイトと友人で、マットレスで横になって幸せそうなのが若かりしぷーまま。

当時の登山者は、こんな山小屋で、混雑期にはシュラフにくるまって一畳に3~4人、
それこそ『オイルサーディン』の缶詰のように互い違いになって寝たのだ。
 
シュラフを持ってこない人は寝具を借りる。
寝具といっても毛布が2枚だったと思う。
稜線小屋は2900mの高さにあるので、夜は冷える。
毛布2枚ではとても寒いのだった。
 
食料を持ってきた人は、土間や外でガソリンバーナーで食事を作って食べていた。
何しろ、このカイコ棚では立って歩くことも出来なかったのだから・・・
 
 
 
 

これは、左側の土間のついた宿泊用プレハブ。
7508夏稜線小屋74.jpg
 
この小屋で、多いときは確か400人以上の登山者を泊めたような記憶がある。
そんな大勢の登山者が来るのは、ほんの数日の事なのだが、
いつでも仕事を休めるわけではない人たちは、どうしても同じ日に登って来る事になる。
 
私たちアルバイトは、よく、午前中の空いた時間に山頂まで出かけ、
大樺沢の雪渓をのぞいて、登山者の列を確認した。
今日は多いぞ、とか、思ったより少ないぞ、とか。
 

 

 
この大勢の登山者を支えたトイレがこれ。

7508夏稜線小屋88.jpg

今考えれば、環境に不親切な、とんでもないトイレだったが、
当時はほかに仕様が無いものだった。
かなり急な斜面に高床式のトイレを作ってある。
トイレ、といっても床に穴が開いているだけ。
出たものは、そのまま岩とハイマツの下に流れていったのだ。 
 
この頃、登山者の少ない東北の山に登って、簡易浄化槽のついたトイレに驚いた。
登山者が少なければ、それも可能だったのだ。
 
今は簡易浄化槽がついて水洗になっているらしい。
 
 
  
 
 
 
 
何も無かった時代から、突然増えてきた登山者に、あわてて、
その場その場に作り変えられていった山小屋の姿だった。
北アルプスはなかなかおしゃれになっていたらしいが、南アルプスは、『そこが良い』というへそ曲がりもいて、この状態が続いていた。

 
 
 

 
 
 

Posted by Okada at 02:29 | Comments (4)

2007年07月07日

北岳に登る (古い写真 5)

古い写真シリーズは写真を大きいまま載せていますので、クリックすると大きな写真を見ることが出来ます。
(今回は、貧乏学生の白黒写真。現像も焼き付けもぷーままです。)
 
 
 
75夏稜線小屋01.jpg

早朝。
広河原から北岳大樺沢を見る。
 
 
何回も通いなれた大樺沢の道。
時には、真っ暗な中、ヘッドランプも付けずに月明かりで登った。
うっかり明かりをつけると、照らしているところしか見えない。
月明かりなら、周りの山も見えるし、足元だっておよそ見える。
だいたい、どこにどの石があるか覚えるくらい通ったのだ・・・
 
 
 
 
 
 
75夏稜線小屋02.jpg

広河原で、タクシーを降り、 まずは、このつり橋で、野呂川を渡る。
ゆれるし、隙間のある、なかなかスリリングな長いつり橋で、
1700mのアルプスの山の香りに満ちた冷たい空気とともに、タクシーで揺られてきた眠気を
いつも、いっぺんに吹き飛ばしてくれた。
 
 
橋の向こうには、広河原小屋があり、
(当時夜叉神峠の小屋のオヤジだった塩沢さんが広河原の小屋を切り盛りしている。
 南アルプスのふもとで音楽会をやったり、活躍中です。)
いつも、そこで、気持ちに活を入れて(!)から、登っていった。
  
 
  
最初は樹林帯を登るのだけれど、じきに河原に出て、あとは、ずっと左岸を登った。
(左岸というのは、上流から見て左ということで、下から見ると右側の岸のこと。)
 
 
  
  
 

 
75夏稜線小屋03.jpg

一番上の写真の日の当たっている雪渓の真下辺りの景色がこれ。
確か、当時は、ここまで2時間かからなかったと思う。

 
ここいらで、テントを張っているやつらは、右の北岳バットレス(岸壁)を登りに来た連中で、
「岸壁を登り、自己に打ち勝つことのみに興味のある連中」 と、若かったぷーままは曲解し、敵視していた。
ゴミの放置がひどく、「やつらは自然と対峙していない」、と若いぷーままは思ったわけ。
実際、ゴミはひどく散らかっていて、登りながら、ゴミ拾いをしていたくらいだった。   
 
 
 
 

 

75夏稜線小屋07.jpg 
 
75夏稜線小屋04.jpg

もう少し登って、下を見ると、こんな傾斜。
けっこうな、急な雪渓で、初めて雪渓を一人で登ったときのぷーままの不備、
アイゼン(靴に付ける滑り止めの金具)も、ピッケルもなしに登った無謀さを、
この写真を見て今さらながらに実感。
滑り出したら止まらなかったね!!
 
 
 

 
75夏稜線小屋06.jpg

雪渓も、もうおしまい、というところまで登ると、大樺沢最後のルートが見えてくる。
一番左のちらりと雪の見える沢筋。
今は、もっと右の尾根を登らなくてはならないのだけれど、当時は最後まで沢筋を登ることができた。
 


大樺沢には本当にたくさんの沢が入ってきていて、特に残雪期の登山者は、どの沢を登っていいのか迷うことが多い。
この年の6月に、バットレスに上る『バットレス沢』に迷い込んで遭難した人がいたので、
(のちほどあっぷします、「恐怖のショウジョウバカマ」)
私たち、看板を設置しました。
 

  
 
75夏稜線小屋100jpg.jpg

これ、ぷーまま製です。
KRAというのは、北岳(K)稜線小屋(R)アルバイト組合(A)、の頭文字。 
何で組合だったのか、わかりませんが・・(笑)。

 
 
 


 
沢を登りきったところが、『八本歯のコル』。
『八』 というのは、日本では、『たくさんある』 という意味だそうで、
( 八ヶ岳、八つ峰、参照 )
『八本歯のコル』 は、たくさん尾根のでっぱりがある、ということになる。
 
 
 
 
 
当時のぷーままは、八本歯のコルに着くと、もう、稜線小屋に着いたも同然だと思っていた。
 
2箇所ほど、ハシゴ場もあったし、岩の上をたどる道であったのだけれど、
当時の体力を持ってすれば、そんなのは、全然取るに足らないことだった。

 
分岐まで登り、トラバース道をたどるのだったけれど、
当時のぷーままたちにとっては、それは、庭を歩くのとおんなじ。
 
 
 
 
 
八本歯のコルに着きさえすれば、もうこちらのもの。
そう思っていた、若き日のぷーままがいた。
(その証拠に、八本歯のコル以降の写真が無いのです。) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  


Posted by Okada at 00:42 | Comments (6)

2007年06月15日

古い写真4 北岳での1回目の誕生日

コピーFH000002.JPG

 
登山靴を作ってしまって、無謀にも、大樺沢の雪渓をつめて、北岳に登ったときの写真。
 
これは、ふもとから仰ぐ北岳。
 
 
 
 
 
 

 
FH000011.JPG

この花に会いに出かけたのだった。
 
 
 
 
 
FH000012.JPG

肩の小屋裏の雪渓にて、はなママとお姉ちゃん。
 
 
 
 
FH000019.JPG

お天気はずっと悪かったけれど、若かった私たちは、気にしなかったのだね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今、昔の写真をスキャナーで取り込む作業をしています。
けっこう大変です。
しかも試験前ですから・・・
 
そんなこんなで今日の記事は、手抜きです。(いいわけ)
では・・・
 
 

 
 


Posted by Okada at 03:04 | Comments (2)

2007年06月13日

いきさつ・・・古い写真3

登山靴を作った私は、丹沢表尾根で足慣らしをし、
誕生日に、キタダケソウを見に北岳に登った。

まだ、本人は気付いていなかったけれど、
登山にはまりかけていた・・。
 
 
夏休みには、正しく夏山縦走をしなくてはならなかった。
ヤマケイの、登山ガイドの、「南アルプス」や、「丹沢」などを買いあさった。
当然、雑誌「山と渓谷」、「岳人」も、購読した。

 

梅雨明けを待って、ドカーンと縦走に出かけた。
壮大な計画で・・・
 
なんたって、南アルプスを、北岳から赤石岳まで縦走してしまおうというのだ!!

山をご存じない方にはどんなすごい計画か、お分かりにならないと思うけれど、
一週間以上かけて、山梨県から、静岡県まで3000m級の山をつないで、
赤石山脈を縦走しようという、初心者でなくてもものすごい無理のある計画。
しかも、単独行。
 
 
まず、6月に登って勝手を知っている(!)北岳から入った。
 
 
 

 
同じ、大樺沢をつめて、八本歯のコルから、山頂へ。
梅雨明けの空は、真っ青で、山頂からは大樺沢の真っ白な大雪渓も見えて、気分は最高!
「なんていい出だしなんだろう!」と思っている北岳山頂のはたちのぷーままだった。
 
01FH000072.JPG

 
 
 
 
 
さて、
山頂でシャッターをお願いして写真を撮ったり、あの山は何かなどとほかの登山者との会話を楽しんだ後、
一日目の宿泊地、北岳稜線小屋を目指した。
 
 
山頂から、銃走路を南に向かうと、稜線小屋が見えてくる。

 
「まあ!なんてテントがたくさん!」と思いながら、 歩いていくとテントだと思ったのは、干してあるたくさんの毛布だった。
時折、風にめくられて飛ぶ毛布を、追いかけている人も見える。
 
 
 
 
 
小屋について、受付を済ませ、
真ん中のプレハブ(小屋のニンゲンの住居、兼、売店、兼、お客さんの食堂だった)に、また今年も、同じ大学の人がいるのか、見に行った。
 
そこには、さっき、毛布を追いかけていた男の子もいた。

 
 
「あのぉ・・・、去年もお世話になった〇〇大学のものですが、今年も先輩方はいらっしゃいますか??」
「ああ、〇〇大学か。まだ、今年は、来ねえなあ。」
「そうですか。失礼しました。」
「ほう、ちょっとあんた、大学生なら、暇ずら??
 頼んだアルバイトが来なくて、困っていたところだ。
 アルバイトをしていってくれんかなあ。」
「はぁ?わたしが??」
「ほうずら。」
 
私の長大な縦走計画が崩れ去り、長い北岳通いが始まった瞬間だった。
 
 
一日目にして計画を捨てた私も私だけど、行かなかったおかげで、遭難もしないで済んだ・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
携帯電話などというものは、世の中に存在すらしていなかったし、山岳電話も、北岳には無かったので、
山を降りる方にお願いして、自宅には、稜線小屋でアルバイトをしている、と伝えてもらった。
 
 
結局、2週間山の上にいて、一回下った。
 
またすぐ登って、夏休みはほとんど北岳にいた。
 
 
 
あの頃のバイト料は、3食昼寝付きで一日2000円。
その金額がたかいとか、やすいとかではなくて、好きな山にいて、お金がかからないどころか、お金をもらえる!という、もう、最高のアルバイトだった。だいたい使うところが無いから、そっくりたまって、山道具を買うのに役立った。
一週間以上いると、交通費も出してくれた。

 

 
 

 
稜線小屋には、オヤジさんが3人いた。
今朝光さん(コンチョウコウさんじゃあないよ。ケサミツさんといいます。)と、富盛(トミモリ)さんと、丑雄(ウシオ)さん。
山にも、植物にも、造詣の深い今朝光さんは、偏屈だけどリーダー的存在。
おしゃれで、ちょっと丹波哲郎に似ていた富盛さんは、話のわかるちょっとかっこいいオヤジさ
ん。
いつも笑っている丑雄さんは、とってもやさしかったなあ。
今でもご存命なのは今朝光さんだけで、富盛さんも丑雄さんも亡くなってしまわれた。
 

夜は、小さなプレハブに敷き詰めたマットレスに毛布をかけて、一枚に2人くらいの感覚で雑魚寝。
一番奥にプロパンのガスコンロとガス炊飯器があって、そこが調理場だった。
なべも炊飯器も、市販の一番大きいもの。炊飯器は直径60センチくらいあったよ!
 
一番奥に寝るのは、山梨大学の1年生の学生。通称「ボク」。
寝相が悪く、右隣の人を蹴飛ばすので、ここが定位置になった。
二番目が私。 
朝、3時半に丑雄さんが、「おい、斉藤!」と私を起こす。(昔はサイトウだったのさ!)
私は、2つの炊飯器と、2つの巨大な味噌汁なべのコンロの火を入れて、また寝る。
一声かけただけで起きるのが私しかいなかったので、私の仕事になった。

その40分くらい後だろうか。
皆おきて、寝具をたたみ、テーブルを出して、朝ごはんの支度を始める。
 
当時の南アルプスの食事はひどいもので、一泊3000円の2食付の朝ごはんは
ご飯と味噌汁と味付け海苔と生たまご。(卵は6月末にヘリで荷揚げして秋まで使った)
夜ご飯でも、魚の佃煮と、魚肉ソーセージを焼いたもの2枚と、たくあんと、ご飯、味噌汁。

南アルプスの銀座と呼ばれる白根三山のルートにある稜線小屋は、ものすごく混雑する山小屋だったので、ご飯は一度に出来ずに、3回位に分けていた。
なんと、ご飯は立ち食い。
それでも、誰も文句も言わなかった。
そんな時代だった。
 
 
朝の食事を食べて、お弁当を渡し、小屋の掃除をすると、お昼寝タイム。
 
昼寝の出来ない私は、残ったご飯で弁当を作って売って、けっこう売り上げた。
 
 
夕方は、また食事の支度。
宿泊客の受付とテント場の管理。
お金の計算というのもあったな。
頼まれた弁当を作り(ご飯と梅干、昆布の佃煮と、海苔だったかなあ)、そのあとは
自分たちの食事。
ビール、日本酒は飲み放題!!
飲んだ、飲んだ。
オヤジさんたちは、自分たちだけで飲むのがつまらなかったのか、やかんで燗をつけ(やかんに一升いれて火にかけるの・・)茶碗で、飲め、飲めという。
ところが、当時の若者は、ウィスキーやビール派。
日本酒が好きだったぷーままは、茶碗酒たっぷり付き合いましたよ!
お酒、ほんとに強かったですから!
 
毎晩9時か10時くらいには寝ていたんじゃあなかったかなあ。

 
 
朝、食事の片づけをしているときに、日が昇る。
 
まん前に見える富士山と、日の出。
それはそれはきれいだった。
 
 
バイトは、なかなか見に出ているわけには行かないのだけど、きれいな日には写真を撮った。
 
ご覧ください。
雨でも降らなければ、
毎日こんな日の出を拝むことが出来たのです。
 
  

 
01FH000083.JPG
 
01FH000081.JPG
ボーコンの頭。私たちは、この左のへこみ、「八本歯のコル」に登ってきてから、稜線小屋にやってきた。


01FH000084.JPG
中白根、間の岳方面。
稜線小屋のテント場になっている。


01FH000091.JPG
 
01FH000096.JPG
小屋から見る山頂。この日はかさ雲。お天気が下り坂。

 
01FH000098.JPG
ボーコンの頭の向こうに見えるのは、奥秩父の山々。
八ヶ岳は、ボーコンの頭の陰になっている。


01FH000120.JPG
毎朝いながらにして、この景色。
一番暑い8月でも最高気温15度以下。
大学生の私には、この世の楽園だった。 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
{「古い写真」シリーズは、写真を大きいまま、アップしています。どうぞ、一枚ずつクリックして大きくしてご覧ください。}
 
 

Posted by Okada at 01:24 | Comments (10)

2007年06月11日

ちょうど今頃・・・  (古い写真2)

0FH000136.JPG


どういう経緯でその山行が決まったか、もう忘れてしまった。
とにかく、誘ってくれた(?)先輩と、北岳に登ることになった。
(とても変わっていた先輩で、有名人だったよ、変人で・・)

先輩はテント。
私は小屋どまり。
 
北岳稜線小屋に着いて、その先輩が、ヘッドランプを忘れた、と借りにきた。
貸したはいいけど、いつまでも返しに来ない。
「どうしたんだろう・・。」
心配になって小屋に聞きに行った。
話していたら、同じ大学の先輩が何人かアルバイトしているのがわかった。
 
結局、ヘッドランプは、暗くなってから返ってきた。
水場がわからなくて、時間がかかったらしい。

今考えると、初登山の私が、登るのに時間がかかり、予定外に暗い時間に水を汲みに行かなくてはならなくなったからなのかもしれない。
なんたって、北岳稜線小屋の水場は、350mも下った昔の北岳小屋のさらに下の林の中にあるのだから・・
後輩の女の子(って、ぷーままのこと(笑)。)の前で、かっこつけて余裕みせた??
 
 
 
その年に、北アルプスの蝶が岳にも登った。
固形缶を使ってとろとろの火でご飯を作る私たちの隣で、ガスコンロを使っている人を見た。
ガスコンロってすごい!!って思った。
すごいから、私もほしくなった。
・・で、アルバイトして、ついに手に入れた。
 
 
コンロを手にして、考えた。
これだけじゃ、使えないじゃないの・・。

・・で、またアルバイトして、頑張って、登山靴をオーダーした。
フタバ、って言う、小さな、でも有名な登山用品やさん。
長いだけで、甲も無けりゃ、巾もない私の足に合う既製品は無かったの・・・
(26センチですから)
 

コンロと、登山靴から始まった私の登山。
ニンゲン、何がきっかけになるかわからないね。
 
 
新しい登山靴で、丹沢の表尾根縦走に行ったよ。
バテバテだった。

でも、めげなかったんだな。

 

私の誕生日は、6月29日。
いろいろ山の本を読みあさった私は、梅雨のさなかに北岳に北岳草が咲くことを知ったの。
北岳草は、北岳にしかないの。 
 
これは、誕生日に見に行くっきゃない、と思ったんだな。
 
 
 
ちょうど、はなママとその話をしたら、はなママのお姉ちゃんが登山をかじっていて、
北岳に行ってもいいなって話になった。

私は、大樺沢から八本歯のコル経由で山頂へ。
はなママは草すべりから肩の小屋経由で山頂へ。
 
肩の小屋ではなママたちと合流して肩の小屋で泊まって帰ってきた。
 
2日間雨降りだったけど、私は、大樺沢の雪渓をつめて、登った。
アイゼンも、ピッケルも持っていかなかった。
だって、持っていなかったし、知識も何にも無かったのだから。
よく、怪我もせずに登ったもんだわ!!
転んだら、止まる術も無かったのだけど、知らないということは恐ろしいこと!!

雪渓で転んで滑り出したら、ピッケルでなくては止まれないし、
滑らないようにアイゼンをはく、なんてことは、その後、当たり前になったのだけど、
このときは知らなかった。

ついでに言えば、北岳草がどこに咲いているかわからず、やっと、肩の小屋の裏に植えてある
北岳草で、お目にかかったという始末だったのだけど、
見ることが出来たから、首尾上場と思っていた。
 
 
そんなこんなで、大学2年、3年、4年と、誕生日は北岳で迎えることになった。
 
 
0FH000139.JPG

雨が降っていては、こんな風にちょっとさえ、山は見えない。
晴れてこその景色だね。

 
0FH000138.JPG
 
雲が切れて、向こうの稜線が見えてくるときは、本当にわくわくする。
 
 
0FH000137.JPG

 
0FH000181.JPG
 
0FH000171.JPG
 
0FH000166.JPG
 
  
 
 
ちょうど今頃の残雪の山が、私は大好き。
咲き始めたお花畑もものすごくきれいだし 山がいっとうきれいな顔を見せてくれていると思う。 
膝を痛めてしまった今、、もう行くこともできないかもしれない、と、ちょうど今頃の写真を見て、
懐かしさに胸がキューンとしてしまっているぷーままなのでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 

Posted by Okada at 01:39 | Comments (12)

2007年06月06日

古い写真 1

学生時代に、アルバイトをしては、
山道具をそろえ、山行代を出していたので、
写真にそうそうお金を掛けるわけにはいきませんでした。
 
カメラは小学校のときから、父親がどこに行くにも持たせてくれていたので、
違和感があるどころか、
何かあれば写真にとっておくという習慣が染み付いていました。
上手いとか、下手とか、考えてもいなかった・・・と記憶しています。
とにかく、「記録」でしたから。
 
山に登るようになって、何人かの山岳写真家と遭い、
「ふーーん、写真って、そうやって撮るんだぁ・・・」と思ってから、少しは構図とか考えるようになった・・・と思います。
それまでは、焦点深度とかしか考えていませんでしたから。
レンズとか、フィルターとかも全然考えていませんでした。
 

その上、お金が無いものだから、あんまりバチバチ撮ってくると、後でお金がかかるのが痛かったのです。
そこで、考えました。
フィルムは少し高いけれど、スライドで撮る。
あるいは、2本目はスライドフィルムにする。
そうすれば、帰ってきてから、現像代しかかからない。
あの頃は、焼き付けると、カラーは一枚35円でしたからね。
 
ぷーまま、高校3年生で初めてカラー写真でしたから・・・。
それまでは白黒だったのです。
自分で現像、焼付けできたし・・・。

大学に入ってからも、フィルムだって自分でパトローネに巻いたし、(24枚撮りとか、36枚撮りとか、体が覚えていて、真っ暗な暗室でちゃんと長さを切れた!)
とーぜん、現像液も自分で調合。
研究室の連中は、そんなの当たり前でした。
 
学生証の写真なんか、友達のもみんな撮ったなあ。
ちゃんと、顔が白くなるように修正もしたし(笑)。
 
 
 
そんなこんなで、スライドになっている写真が400枚くらいあるのです。
 
 
 
 
 
もう、プロジェクターを貸してくれる大学もないし、どうしようと、Annaさんに相談しました。
そうしたら、現像所でCDに焼き付けてくれるというの。
お願いしました。
一枚63円だから、かなりかかったけどね。
 
 
  
早速見てみたら、古くなって、状態が悪いというのもあるけど(言い訳がほしい!!)
まあ当時の写真のいい加減なこと。
だいたい、レンズがマイクロニッコール・・・花の写真を撮る、というところから入ったからね。
それ一本で山の写真でも人でも何でも撮ってるし。。。。
 


はずかしいけど、ぼちぼち昔の写真をご紹介しましょう。
35年近く前の写真です。ほほほ、年がばれるわね。
 
 
 
 
私がアルバイトをしていた北岳稜線小屋です。
現在はもうありません。
県営の立派な北岳山荘に建て変わりました。 

0mt.FH000112.JPG
 
当時は、プレハブが3棟。
南アルプスの銀座といわれる場所で、楽しかったなあ・・・アルバイト。
 
 
 
0mt.FH000180.JPG

稜線小屋はこんなところにあります。
ちょうど今頃、残雪がこんな感じのはずです。 
 
 
 
0mt.FH000121.JPG
 
小屋からは、富士山がこんな風に真正面に見えます。
ご存知かしら、北岳は、富士山の次に高い山で、3770mの富士山が、こんな風に見えます。
北岳は3193m(私たちが登っていたときは3192.4mだった。測りなおしたら違ったそうだ)で、稜線小屋は2900mの高さにあります。 
 
 

0mt.00FH000076.JPG

山頂から見た稜線小屋です。
間の岳に続く稜線にあります。
 
 
 
 
 
ここにいる間、私たちは、街を「下界」と呼びました。
そう・・・あそこは、そう呼びたくなる、そんなところでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
ところで、Annaさんって、たくさんある数字、あっという間に足し算しちゃうの!
そろばんを習っていたのだそうだけど、本当にあっという間よ!!!
買い物のとき、レジの間違いもすぐわかるのだって!
レジより速いそうです!!!!
数字を聞いただけで、自然と足したりできるんだって!!
ぷーまま、びー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっくり!!
すごいぞー。

Posted by Okada at 07:56 | Comments (11)

2007年04月19日

寒いと思ったら

寒いと思ったら、標高1770m夜叉人峠は雪景色になっていたよ。

ぷーまま、毎朝、夜叉人峠からの白根三山、北岳の映像をチェックするのだけれど、
南アルプスNET
ライブカメラ 「GO」をクリック。
まあ、この冬は、ちっとも雪が積もらないと思っていたら、こんなときに積もってるの。

どうりて寒いわけだ・・・
 
 
(北岳は、富士山の次に高い、日本2位の高さの山です。
 ぷーまま、大学時代、北岳稜線小屋でアルバイトをしていました。
 膝を痛めて、もう登れないけれど、北だけは今でもいっとう好きな山。
 毎日眺められて、幸せです。
 このカメラの置いてある夜叉人峠の小屋でも、アルバイトしましたよ。
 
 夜も、カメラに、星明りの北岳が見えるときもあります。
 一回ご覧ください。
 きれいですよ。  )

Posted by Okada at 08:00 | Comments (0)

2007年02月01日

山と仲間・・記事

コピー山と仲間 白根三山縦走1.jpg
 
 
下に載せた 『山と仲間』 の、他の号に載った記事です。
 
ぷーまま、初めての冬山でした。
 
 
コピー山と仲間 白根三山縦走 2.jpg

 
冬季開放の山小屋の中で更にテントを張って4泊5日。
 

コピー山と仲間 白根三山縦走 3.jpg
 

冬山初心者のぷーままに合わせてくれたのと、カメラマン氏の写真を撮る時間をとった為の
超ゆったり日程でした。


 
コピー山と仲間 白根三山縦走 4.jpg

 
 
カメラマンと一緒の山行は、とんでもないところで、
『これから、日が沈むから、待て。』と言われる、なかなか辛いものでもありました。
寒いのに、冷えすぎて働かないバッテリーを温めてあげたり・・
このときも、北岳の山頂、間の岳の山頂で日没を待たされて、本当に寒い思いをしました。
 

 
 
コピー山と仲間 白根三山縦走 5.jpg
 
 
 
池山小屋、北岳稜線小屋、農鳥小屋、大門沢小屋に泊まって、最後に西山温泉蓬莱荘の
温泉に入って帰りました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

Posted by Okada at 00:15 | Comments (2)

2007年01月31日

「山と仲間」が出てきた

コピー山と仲間 表紙.jpg
 
大学時代、登山を始めた。
きっかけは、ひょんなことだったけれど、2回登山を経験しただけで、登山靴を作り、道具を買った。
たった2回の登山というのが、北アルプス蝶ヶ岳と、南アルプス北岳。
結構立派な山に連れて行ってもらったものだから、偉そうに、一人でどこにでも登れると思ってしまった。

(北岳は白根山とも書かれる、南アルプス(赤石山脈)の主峰で、富士山の次に高い日本第二の山です。
 ぷーままが登っていた時は、3192.4mといわれていましたが、今は3193mに改められました。) 

 

そして、6月末にはなママと、北岳にキタダケソウを見に行った。。
今思うと、なんて怖いことをしたのだろう。
アイゼンもなしに、大樺沢の雪渓を登り詰めてしまった。
よく転ばなかったものだ。
 
はなママはお姉さんと一緒に反対側の草すべりから山頂を目指した。
 
雨の中、一人で登って、ちゃんとキタダケソウを見てきたものだから、もう、すっかり
一人前気取りになってしまった。

 
 
 
大学の夏休み、今度は、南アルプスを大縦走しようと計画した。
当時、山登りをしていたのは、若者だったよ。
ぷーまま、昔から、地図を見るのが大好き。
予定を立て、荷物を用意し、1週間の予定で山に入った。
 
一日目。
北岳山頂に登り、これから縦走しようとしている白根三山のほうを見た。
テントがたくさん貼ってある、と思って、北岳稜線小屋のほうへ行くと、
テントだと思ったのは、干してある大量の毛布で、それが風で飛ぶのをバイトが必死に追いかけていた。
 
去年始めてこの小屋に来た時に、同じ大学の人がバイトをしていたので、ちょっときいてみた。
それが運の付き。
『お、おまえは同じ大学か?』
『ちょうど、今日、来るはずのバイトが来なくて困っていた。』
そんなこんなで、バイトをすることに。
 
当時、山小屋のバイトは一日2000円。3食ついているし、お金を使うところもないし。
だいたい、ただで、好きな山の上に一日中居られるのだから、言うことはない。
 
 
当時、南アルプスの『銀座』と呼ばれた一番人気の縦走路にあった、『北岳稜線小屋』の
アルバイト生活が、こうして始まったのだった。
 
 
あの時は、2週間山から下りなかったなあ・・・。
下りても、またすぐ登ってきた。
9月も10月も、連休といえば金曜の『新宿2355発の鈍行、松本行き』に必ず乗っていた。
 
 
 
 
アルバイトをしていると、昔のアルバイトが、偉そうに現れる。
そんな人達と話をしているうちに、
『北岳稜線小屋アルバイト組合』略して「KRA」という集まりが出来た。
会報も出した。
みんなで集まって、経験者に沢登りや、冬山を習った。
 

 
北岳稜線小屋が、県営の北岳山荘になってしまい、3人居た親父さんも一人になってしまって、
知らない支配人が現れて、みんな集まらなくなってしまった(涙)けれど、 
当時は、社会人あり、学生あり、カメラマンありで、面白いグループだった。
 
 
 
 
 
  
本棚の隅から、雑誌『山と仲間』が出てきた。
この表紙の写真は、私達なの。 
仲間だったカメラマンさんがこの雑誌の仕事をしていたので・・・。
お正月の北岳山頂に向かうKRAの面々です。
 
一番奥から二人目、ブルーのヤッケを着てピッケルを振っているのがぷーまま。
 
 
  
なつかしいなあ。
若かったなあ。
 
 
 

  

 
 

Posted by Okada at 00:00 | Comments (12)